01 ハナショウジョ

春も終わりに近づき、夏のきざしが見えてきた。
そんな季節だった。私が彼女に会ったのは。
なんだかうだるように暑い日で、風のあまり吹かない日だったのは覚えている。
商店街も夕方という事で黒猫を連れた魔女がうろつきだしたり、夕ごはんの買出しのためにきたおばさんとかで微妙ににぎわっていたのである。
確か友達のところに遊びに行った帰りだったと思う。
この辺では見るのは珍しい、東の国の動物・・・ヒツジとかいったと思う、それのうえに大量の花を乗せてこちらに向かって歩いてくる子がいたんだ。

「やだなあ、この人ごみなんなのよ。
 夕方だってのにもう魔女が集まりだしてる。気持ち悪い。
 っていうか怖い?」
独り言をいいながら少女はいった。
少女というには少し大人びた雰囲気が漂っている娘である。
かなりカールの入った赤毛は歩くたびに愛らしく揺れ、背が高く色が白かったので行き交う人は彼女に眼を奪われた。
商店街も夕日の中で明かりを次々とともしだし、魔法用具の店も開店しだした。
ふと、顔を上げると不思議な生き物が一匹と少女が歩いてくる。
遥か東、海を二つばかり越えたところに生息するというジアヒツジである。
ヒツジ自体が東に生息している為このあたりの人々が知るはずもないのだが、ジアヒツジは他のヒツジより双周りほど大きく、毛は淡い紫をしていた。
そのヒツジが背中に大量の花を積んでこちらに歩いてくるのである。
少女は驚いた。
謎の動物を見たという事に対してなのだが心なしか笑いがこみ上げてきた。
「本当におかしいわ。
 どうかしてる、この街」
小さくいうとそのままヒツジとすれ違う。
一、二歩歩いたところで何かスカートに違和感があることに気がつく。
今日は友達の引越しパーティーという事で十分おしゃれしてきたつもりだ。
買ったばかりのフレアのスカート。
たくさんビーズやらボタンやらがついていて自分の好きな赤があったので思い切って買ってみたやつだ。
ッ・・・・
小さな音がするのに少女は気がつく。
「?」
妙な感覚に襲われつつさらに一歩踏み出す。
するといきなり後ろにクンっとひっぱられ、振り返るひまもなく地面に背中から倒れこんだ。
「きゃ…っ」
ダン!
おもわず大きな声が出る。
道行く人々は振り返り誰が助けるひまもなく少女は背中から地面にぶつかり苦しそうに眉をしかめた。
「?!
 ヤダ!ちょっ・・・!ジータとまって!
 いや〜!大丈夫ですか?!」
ふと声がする。
あのヒツジを誘導するように一緒に歩いていた少女だ。
蒼っぽい髪をかわいらしく束ねていたがあまりに激しく動いた為にリボンが取れてしまっていた。
「すみません!私の不注意です!
 大丈夫・・・ですか?」
少女の不安そうな顔が乗り出してくる。
赤髪の少女はひらひらと手をふって起き上がる。
「大・・・丈夫・・・よっと・・・・イタタタタ。
 私も不注意でしたから・・じゃ、これで」
少女は立ち上がろうと足に力を入れる。
半分ほど起き上がったところで・・・・
「キャ!」
小さく叫び崩れ倒れる。
蒼髪の少女はそれを見ると眉を吊り上げ赤髪にいった。
「ウチにきてください、近くですから。
 すこしケガ、しているようですし」
「・・・・・ありがとう。
 ・・・・どっちみち急いでないし・・・・痛いし・・・・およばれするわ」
赤髪の少女は顔を激しく赤らめるとぷいっと横を向いていった。
クス・・・ッ
蒼髪の少女は小さく笑うと手を差し出した。
「私はゆうせ邑瀬。総和 邑瀬です。」
いって少女・・・邑瀬は笑いかける。
「私は・・・梨璃。阿形 梨璃・・・・ヨロシク」
梨璃は恥ずかしそうに手を受け取るのだった。

「ここ!
 うちでやってるお花屋さん。
 清貴っ!燈!いるー?」
その愛らしい声を張り上げて邑瀬はいった。
商店街の真中に位置する小さな花屋。
『夕陽堂』と雑にかかれた古看板は薄緑の壁によくあっていて、店頭には季節の花とたくさんの鉢植え、それとなぜか小さなビニールプールが置いてあった。
ビニールプールの中にいたのは二匹のアヒル。あの羊といい、珍しいものばかり飼っている、梨璃はしげしげと店を見渡した。
「今行く!」
店の奥から少年の声がする、先ほどの邑瀬の声に答えるように急ぎ独りの少年が出てきた。
「おかえりー、あれ?友達?珍しいね」
「うん。さっきそこで負傷させちゃって・・・ジータの紐にスカート引っ掛けて
 転ばせちゃったの。あれ?清は?」
「ねてる。ほら、昨日テストだったから・・・」
少年は言うと軽く梨璃の方に一礼する。
会話から察するに邑瀬の兄弟であろう。似ているとはいえなかったがその和やかさと年恰好で察しがついた。
少年は邑瀬とは違ってすこし茶の入った黒髪で少し長めで後ろに流してある。大きな眼は邑瀬と同じ蒼で、Tシャツにダボダボのズボン、店の腰エプロンといういでたちでいかにも優しそうで落ち着きのある物腰だった。
背も邑瀬より高いしお兄さんだろう、梨璃は思った。
「あ、梨璃〜、この子は弟の燈ね。
 アタシと2つ違うから今年で14か。」
「うえぇ!!!」
思わず梨璃は声をあげる。
「?どうしたの?」
「邑瀬さんて・・・・」
小さく息を呑む。そこで邑瀬が「呼び捨てでいいよ」というのも上の空のままこうつぶやいた。
「同い年なんだ」


「ひどいよう!
 確かに梨璃は同い年にしては凄い大人っぽいし背も高いけど…
 まあ、燈も少し私より背高いけど!ひどいよう!
 私が燈の妹だと思うなんてぇ!」
「姉さんが子供っぽいだけなんじゃないの?」
めり
突然邑瀬の隣に腰掛けていた少年のみぞおちに鉄拳が入る。
この少年こそ昨日テストで今日疲労過労のため睡眠をとっていた次男にして邑瀬と燈の弟、9歳の清貴である。髪は茶に近い黒で、ずいぶんと小柄だった。燈と同じく優しそうで気弱そうな、そんな雰囲気がにじみ出ていた。実際邑瀬自体もかなり小柄ではあったが背はそこまで低くないが、幼顔のせいで2.3歳小さく見られた。
この三人にはどこか似た、優しさのようなもの。暖かなものがにじみ出ていた。
梨璃の足の治療はすんだらしく、足首には包帯が巻かれていた。
「清貴君どうかしたの?
 大丈夫・・・?そう。
 でもなんか三人ともずいぶん優しそうっていうかなんか・・・穏やかなのね。
 うらやましい」
「ぇ?
 そんな事ないよー」
邑瀬はお茶を入れながらパタパタと手を振り笑ってみせる。
外は完全に暗くなっていて不思議ないでたちの人で道は溢れていた。
「ううん。
 私・・・ほら、少し派手でしょ?顔とか・・髪の色とか。
 そのせいってワケじゃないんだけどひねくれてて、なんか
 いつももう少し自分に素直になれたら、皆にふつうに笑えたらって
 四六時中自己嫌悪。」
沈むような声で梨璃は言った。
「・・・・。
 私は梨璃が好きになっちゃったみたい。
 梨璃はとってもいいこだもの」
にっこり笑うと邑瀬はいった。
梨璃がすぐ顔を赤くするがそんな事は気にせずに邑瀬は話を進めた。
「ねえ、今日はどうしてこの街に来たの?
 確かにこの街は学校とかいろんな店があるけどなによりも魔女の店が多いもの
 梨璃もなにか魔法の道具を買いに来たの?」
「あ…私は…ちょっとそういうの苦手だから。
 今時古めなちょっとした魔女…嫌い」
梨璃は気まずそうに下を向く。
邑瀬たちは一瞬止まるがすぐに笑顔を浮かべる。
「あー…あー、そうなんだ!
 ほら、でも対した問題じゃないしね!魔女か…魔女ねえ」 
邑瀬は戸惑いながら言った。
魔女は世間一般上で巨大な魔力を持つものとして扱われる。老若男女誰をも問わず魔法を支配するものにつけられる世間の呼び名である。複数に及ぶ属性を操り、民間人にはまるで理解しきれぬような未知の技術を使った。一時は神として人々に尊敬される、愛される者達であった。 
しかしやはり力をもたぬ民は不安を隠せなかった。魔女による争い、数こそ少なかったが確実に人々を不安にした。そんな時代から何百年も経ったが今でも魔女を嫌うものは残っていた。
「不気味」。魔女嫌いの中には自分達には現れないその色濃い力をそう思うものは少なくない。
そんな中この街では魔女と人とが完全に混ざり合っていた。『魔女の街』。多くの魔法が集い、魔女を集めた。人々は魔女を受け入れると同時に一つの誓約を交わして欲しいといった。
「この街を美しく保つ事」
不気味などと称された魔女は意味がわからなかった。
この誓約を持ち出し、当時街の長を務めていたアガット・クレイリー(現72歳)はゆっくりと説明をしだした。
「私たちにはあなたたちのような巨大な力はないがこの街を
 協力して何とか支えてきた。この街にあなたがたを入れるのは構わない。
 むしろ歓迎するくらいだ。
 しかし約束してほしい。
 街を汚さないでくれ。目にみえる面でも見えない面でも
 この街の一員となるにはこの街を愛していただかなければ。
 何があってもこの街を傷つけないでくれ、美しく保ってくれ」
それ以来、この街は魔女と人との街になる。
「私は…いまどき珍しいかもしれないけど…魔女なんて嫌いよ。
 実は今日はね、友達の引越しパーティーに来たの。
 私のすむところから大体普通に一日かかるから…。
 少し遠いわね。
 あ…もしかして…いやな気分になった?
 その・・魔女嫌い…とか」
おずおずと、恐れるように梨璃はたずねた。
「ううん、大丈夫」
すっきりした顔で邑瀬はにっこりと笑った。
「少し遠いのかあ…どの辺に住んでるの?」
「北にある街、多分世間では『赤の街』といわれてるとおもうけど・・」
赤の街…ここから遥か北にある火山で有名なところである。
「赤の街?!遠いねえ…あ!ねえ…いまって学校とかある?」
「いいえ、ないわ。
 学校はまだ、春休みだから。」
普通春休みは夏の初めまで続く、その間に山のような宿題と論文が生徒にかせられるのが普通であった。
「じゃあさ!しばらくウチ泊まってよ!御両親には私が手紙出すから!
 いまね、うちの店人手不足なの。これも何かの縁だと思って・・ネ?」
愛らしい顔で頼む邑瀬の顔を見て梨璃は断ることができなかった。

「ココが私の部屋ね、うちペット多いから…
 臭ったらいって…飼ってるとなれちゃってね 
 あ、そこに居るのがニア。」
行儀よく床に座るボーダーコリーを指差して邑瀬は言った。
邑瀬の部屋は割と広く店が開けそうな広さだった。
木目調な家具に大きな本棚に木のベッド、かわいらしくおかれた人形の数々に大量の本、本は学術書から絵本まで分野が広く、厚い本などは7センチ近くもあった。壁にはカレンダーのほかにたくさんの絵葉書やメモ、ドライフラワーになぜか杖のようなものまで飾られていたが、ひときわ目を引くものがあった。一枚の絵である。
「すごいきれいね、この絵」
梨璃は絵に歩み寄るといった。
その絵はごく最近かかれたものらしくほこりなどはぜんぜんついていなかった。黄色と白の花畑で夜、羊と少女が星を眺めている…そんな絵だった。
「ああ・・その絵ね、清隆がかいたの。
 清はすごい気が弱いし余計なことばっかりいうし、疲れに弱いし押しに弱いし怖がりだけど絵はうまいと思うの。
 私は絵のことなんてぜんぜんわからないけど清の絵はすごい好き。
 この間街の外れでやった星祭りの時のなんだけど、いきなり『そこに座って』とかいって注文つけられてね、
 私そんなにかわいくないんだけど」
けらけら笑うと邑瀬はタンスをごそごそとあさり、一着の服を出した。
そして梨璃の方にむけてしばらく服と梨璃とを見比べる。
「うーん、やっぱり私のじゃだめだよね…小さいっぽい。
 梨璃〜っちょっとついてきて」
邑瀬は一人で何やらつぶやくと服を置き梨璃の手を引き部屋を出た、ついでにニアもついてくる。
廊下を真っ直ぐ進み、階段を上り二階へ。そしてすぐ目の前のドアに手をかける。
そして思い立ったようにドアノブから手を放すとノックをした。
「ゆまちゃん?入ってもいい?」
少し大きめの声で問い掛ける。
ほどなくして「どうぞ」との声。
邑瀬はにっこり笑うとドアを開けた。
「うぁ・・・」
梨璃の口から声が漏れる。
その部屋は何というか…少女趣味全開で人形がいたるところにおいてあり、家具はほとんど白く、壁にはまたもや絵とドライフラワー、更にはノートの一部や人形がぶら下がっていた。白いフリフリのカーテン、コートかけにかけられたたくさんのアフタヌーンドレス、すべてがすべて少女の世界であった。
「お友達?」
部屋には女がいた。すいぶん年上だろう、多分二十代半ば。部屋の趣味とは違ってシンプルなワンピースに身を包んでおり、その白に近い金の髪を一つに束ねていた。
「うん。梨璃って言うの。阿形 梨璃ちゃん、ちょっとだけどうちに泊まるの。
 あ、梨璃。この人は私の姉の邑苺。えっといくつ離れてるのかなあ?10くらいだったとおもう。ちかくのデザイナーさんのところにかよってて服の勉強をしてるの。」
邑瀬は邑苺を指差し梨璃に紹介した。
「こんにちは。
 邑瀬のお友達かあ、大人っぽいねえ。
 邑苺です。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
やんわりと微笑んでいう邑苺に梨璃はお出かけ用の笑みを浮かべていった。
「ゆまちゃん、あのさあ寝間着とか貸してもらえないかなあ?
 梨璃に貸したいんだけど私のだとちっちゃくって。」
「いいよ。そこのタンスにあるから好きなのとってって
 ちょっと私、いま手が離せないから。」
机に向き直ると邑苺は言った。
机には数々のデザイン画。
邑苺はちらかった机に広がる紙を束ねはじめた。
「はーい。
 んじゃあ、これとそれとこれでいっか。
 いこ、梨璃。
 おじゃまさまあ」
一方的に言うと邑瀬は梨璃の手を引き廊下へ出た。
そしてドアを閉めると上目遣いで梨璃を見ていった。
「急かしてごめんね。
 今ゆまちゃんデザインの勉強で忙しいみたいだから。
 なんか勝手に選んじゃったけど取り合えず寝間着は確保したし!
 夕食までうちの少ない部屋を案内するよ」
邑瀬の言葉に梨璃は頷いた。

「ここが羊とかのいる小屋。」
ガチャリと邑瀬は小屋のカギをあけた。
清隆の部屋、燈の部屋、父母の部屋、店、キッチンなどをまわってきた、ここが最後である。その小屋は庭に面しており通りからはまったく見えない位置にあった。
二階建ての小さな小屋。
その中には四匹の羊と二匹のアヒル、ニアを加えた三匹の犬に数匹の猫がいた。
「動物園?」
「ははっ、よくいわれる。
 えーとねえ。うちはほら、商店街に面してるから牛とか飼うと臭いとかで苦情きちゃうから、商品を運ぶときのために羊を飼ってるの。
 ちょっと詳しい話になっちゃうけど遥か東に生息するジアヒツジとこの辺で少し生息しているヨウヒツジを飼っているの。
 知り合いから貰い受けたのが始まりなんだけど、そこの少し紫っぽいのがジアヒツジで今日梨璃を事故にあわせたジータ。
 その横の紫で小柄なのが最近うちに来た子羊のセビ。この二匹オスね。
 そこの黒いのがヨウヒツジのアーナ、そしてジアヒツジ
 とヨウヒツジの…ジータとアーナの子供のキット。アーナとキットがメス」
すらすらという邑瀬に戸惑いながら梨璃は整理した。
つまり紫で大きいのがジータ、ちっちゃいのがセビ。黒いのがアーナ。黒の淡い紫色がキットと。
「お…覚えたわ。」
すばらしい記憶力で梨璃は言った。
これでも成績と運動能力、記憶力には自信があるのだ。
「すごーい!記憶力よすぎ、いっぺんに四匹だなんて、じゃあ、次ね。
 そこのビーグルは清の世話しているイコ、このボーダーコリーはさっき言ったとおりニア、私が主に世話しているの。
 そこのコーギーが燈の世話しているサンタ。」
「OK」
楽勝。ニアはさっき覚えたし、清、邑瀬、燈の順番でいち、に、さんである。
「そこのアヒルね、見分けるのが難しいけど青い首輪のくちばしが長いのが
 トット、赤い首輪の太っているのがクックね」
「…うん」
「そこの猫ね。黒猫がチビ、白猫がプチ、トラ猫がトラ、毛の長いのがキキ。
 …ふう。この四匹がうちで飼っている猫、そして毛の短いちゃいろのがリー、
 毛の短い茶色の縞もようの大きいのがサラ、小さいのがオーラ、見てわかると思うけどこの二匹は親子ね。
 他にもいるけど主にこの三匹が野良猫。
 よくうちに来るの」
「…」
梨璃はだまって顔をひきつらせながら苦笑いを浮かべた。
「えーっと二週間ぐらいいられる?」
「うん。大丈夫。」
「宿題とかあるから早く帰った方がいいよね。
 じゃあ、10日くらいかな?」
「あ、いいの。
 私宿題ないから。」
「おわったの?
 すごーい!春休みってだいたいどこの子も宿題多くて
 なかなかおわらないって皆こまってるのに」
「ちがうの」
梨璃は軽く首を横に振った。
「後で…話すよ」
軽く目を伏せて梨璃が言う。
ちょうどその時、夕食の合図のベルが鳴った。

「私のお父さんね、植物学者なの」
静かに梨璃は話しはじめた。
夕食を済ませ邑瀬の一家と気楽な会話を楽しみ、風呂に入るついでにニアを洗い、梨璃が飲むコーヒーと、邑瀬の飲む紅茶そして少しばかりのお菓子をもって二人は部屋でくつろいでいた。
「新種が見付かれば飛んでいき、学校に呼ばれたり、研究施設のある所に   
 移ったりでまえまえから引越しばかりだったの。」
「何回くらい引っ越したの?」
紅茶に大量の砂糖を入れながら邑瀬はたずねる。
「んー。七回くらいかな?
 赤の街には割と長く…三年くらい住んでたよ。」
「へぇ」
「でね。私と妹とお父さんでいろんなところ引っ越したりしてたんだけど
 今回はちょっと引っ越すには遠すぎてね」
「どこ?」
まだ少し湿っているニアの毛を溶かしてやりながら邑瀬は聞く。
「南の大陸。
 海を3つ。こえたところにあるの。
 妹は一緒に行くのよ。まだ7歳だし一人暮らしはね…ちょっと無理だから」
「え…じゃあ梨璃一人暮らしするの?!」
「うーんそうなるかな?
 お父さんと妹はもう船出発しちゃって一昨日旅立ったんだけどとりあえず
 私は赤の街に居るの。
 別のところに引っ越す予定、母さんのところには戻りたくないし」
「ふーん、母さん嫌いなの?」
邑瀬は紅茶を一飲み。
よく知りもしないのに相づちを打つ。
「母さん?うーん嫌いなのかなあ?大好きではないよ。
 会うのが恐いだけかも。」
「へえ…あ!」
突然立ち上がり窓から外を見た。
「きれいな星ー。見てみなよ、梨璃」
そんな邑瀬のしぐさに微笑んでから梨璃は立ち上がり窓辺に立つ。
満天の星空。
漆黒に似た紺色の空に白い輝きがちりばめられている。
「邑瀬は変な子だね。
 私の妹より手が焼ける…もう一人の妹みたい」
いって梨璃は邑瀬の頭をくしゃっとなでた。
「まあ・・そういうことだから!引越し先が決まるまで学校には通わないの。
 春休み中には決めるつもりだけどね。ってことで!宿題はなし!
 明日からおしごと手伝うよ!」
星に負けないくらいの輝かしい笑みを梨璃は浮かべた。

「さあ、いくよ!」
いって邑瀬は梨璃を羊小屋に連れて行く。
梨璃は朝に弱い。
突然起こされ邑苺から借りた服に着替えさせられ必要最低限のものを持ってついて来いといわれたのだ。
朝日が昇ったばかりといったところでだいたい6時前だろう。家の中は物音がなく清隆の部屋にいたっては寝言まで聞えてくるありさまだった。父はなぜか早くからおきていて慌てて支度する邑瀬に何やら告げているようだった。
「もう!そういえば顔洗ってないでしょー?
 ほらこのタオルでそこの井戸水で顔洗ってきて!いそいでねえー」
小屋のカギをあけつつ邑瀬は言う。
「うー。」
のそのそとタオルを受け取ると庭の角、小さな井戸ポンプのところまで歩く。
大体今の時代にいどというのがすこしおかしい気がする。水はその地区の水道局が魔導技術を盛り込んだ機械で水を引き上げ、パイプを通して浄化し、各家庭に供給するのが普通である。もちろん家には水道もあったし特別井戸を使う理由もないはずだ。
「うー。」
ギコギコ言わせながらポンプを何回か押す。
梨璃は今までで井戸ポンプを使ったのはせいぜい3、4回だ。
なれぬ手つきで何回か水を流しだし近くのいくつかの容器(やかん、鍋、洗面器、コップ、たらい)の中から金属製の洗面器を取ると水を入れた。春には暖かすぎるほどの気候。どうやら今日は暑くなりそうである。
水を入れ顔を洗う。何回かゆすぐうちにだんだん起きてきた。
「あーこりゃ…井戸の水使えというわね」
小さな声でぽつりと言った。
井戸の水は澄んでいて、それでいてつめたかった。心なしかすっきりした香りがするようにおもえた。
水道水では味わえないものである。
梨璃は何とか半覚醒したもののまだまだ眠気の取れぬまま邑瀬のところに戻る。
「おそいよー。
 さ、急いで。間に合わないかも。
 あ、そうだこれ…梨璃の分ね。
 慣れれば多分走りながらでも大丈夫だと思うから」
「?」
邑瀬は羊小屋から四匹の羊を出していた。
昨日のうちに用意してあったのだろう、おおきな肩掛けかばんから二つの袋を出すと片方を梨璃に渡した。
「どこ行くの?っていうか何これ」
「朝御飯。パンとジャムとバター、あとりんごにお菓子、キャンディーとか
 いろいろ食べ物入れといたから。ほら朝御飯食べてる暇なんてないんだー。
 ごめんねー」
のんきに言う声とは裏腹に邑瀬は急ぎ小屋からマットと布、そして皮ひもと籠を出してくる。
マットと布をアーナとジータにつけるとマットの端の金具に皮ひもと籠をつけた。そして鞄から親指ほどの太さの長い縄を出す。2メートルもあろうかという長い縄をそれぞれ一本ずつセビの首輪とキットの首輪につける。
「アーナとジータどっちが良いかなあ?
 梨璃が選んでいいよ。
 アーナはすぐに言うこと聞くけどテンション高くなると気をつけないと突っ走っちゃうからー。
 ジータはうちの羊の中では一番気位が高いって言うか偉いから少し乗っててこわいかもよー」
「は?」
「どっちの羊に乗りたい?」
「え?羊に乗るの?」
「うん。ジアヒツジとヨウヒツジは結構体丈夫で走るの速いんだよ。
 馬とかよりは遅いけど…うーん、うちらが全力疾走するくらいで普通に走っちゃうの。
 ほかの種類は人を乗せるには小さかったりって言うのがほとんどなんだけどね。
 どっちでもいいの?」
ただ呆然と突っ立ちながらこっくりとうなずく梨璃。
「じゃあアーナね。
 籠に荷物入れて、背中に籠がくるように固定するからもたれかかっちゃってね。
 マットと布、あと…はいこれ、このクッションおけばゴツゴツしたりしないから…走っててもね。
 私が商店街抜けるまでは引っ張ってくから乗って…そう、うん良い感じ!」
邑瀬に手伝ってもらいながらアーナにまたがる。邑瀬は満足そうにうなずくとジータとセビ、キットの綱をもって更にアーナの首輪を掴んで歩き出した。
「ねえ…どこ行くの?…きゃっ!羊って乗るの初めてなんだけど」
「ああ…そういえば説明してなかったねえ。
 これから南の方に花を仕入れに行くんだー。
 お父さんの知り合いの人で時々良い値段で花を売ってくれるの。
 運搬用にセビとキットをつれてくの。まだ小さくて人は乗れないけど足は同じくらい速いからね。
 で、梨璃にも向こうでいろいろ手伝ってもらうからアーナに乗ってもらっ
 てるの。南っていっても三時間くらいだからすぐだよー」
木の裏門を足であけ、羊たちを出す(梨璃も含む)。そしてまた閉める。いってきますと告げると窓から父が手を振っていた。
「邑瀬って朝に強いねえ…ふぁ…ふう。
 で、移動する間にパンを食えと」
「そうゆことーもうそろそろ六時かな?向こうに9時30分までにはつく予定だから丁度いいねえ。
 さて…いこっかぁ」
人のいない商店街を元気よく邑瀬は歩いていた。
四匹の羊そして梨璃をひきつれて。

邑瀬はぱっと見やさしげでおとなしそうな少女かもしれない。髪はかわいらしく束ねていたし、体も小柄、手や足は同世代の子よりも少し小さかった。実際梨璃と並んでみると絶対に同世代は見えない。きっと皆が皆二人を姉妹かなにかと思うだろう。梨璃の顔立ちは細く、繊細さを思わせた。長いまつげと少し派手な顔立ちは大人っぽさを思わせた。背も高く肌も白い。そんな梨璃と比べるとやはり邑瀬はおとなしい子供にみえた。
「邑瀬って結構豪快だね」
梨璃は言った。
そう、人は外見で判断してはいけないのだ。決して邑瀬はおとなしいとは言えなかった。口調や動作こそはのろのろとしていてコアラを思わせる微笑ましさだったが、コアラはああ見えて狂暴なのである。邑瀬はかなり活動的だった。チャレンジャーと言った方が良いかもしれない。仕切り屋ではなかったが好奇心全開で何事にも接していた。今もそうだ。邑瀬は口にジャムをたっぷり乗せたパンを突っ込み片手でセビとキットの綱をもち、ジータに乗りつつ更に鞄の中をあさっているのである。梨璃は羊に乗っているだけで精いっぱいなのに。あれから10分、邑瀬は商店街のゲートを出るとアーナの首輪を放しジータを走らせ軽々と飛び乗った。ちなみに邑瀬は二匹の羊の縄を持っている。これは運動神経とか馴れだとかそういう問題ではない。梨璃は思った。羊は思ったよりもずっと速く走ったし馬よりも安定感があった。何回か梨璃は馬に乗ったことがある。馬の背よりも幅の広い羊の背は安定感を提供したが同時に乗りにくさがあった。乗ってからは楽なのだが乗るまでが大変なのである。邑瀬はそんな羊に軽々と挑んでいたのである。これは根性でしか言いようがないのである。いくら馬ほど速くないからといっても乗
り損ねたら大怪我をしてしまうだろうに。 邑瀬の名前の由来は夕陽の"夕"の音からきている。確かに穏やかな面では夕陽を思わせる性格である。しかし真夏の太陽のような明るさや元気、川の流れのような破天荒な面も持っていただけに梨璃は邑瀬といて飽きることを知らなかった。
「ねえ、邑瀬。
 おじさんの知り合いの人が住んでるのってドコの街?」
「お父さんの友達はねえ…あ、春海さんっていうんだけどね、春海さんは『フクロウの海』に住んでるんだよ」
「フクロウの?じゃあ、近いじゃないの。三時間もかからないよ。」
『フクロウの海』とはその名の通り大量のフクロウの生息する港町である。フクロウのほかにも鳥が多く生息しており、鳥の街ともいわれた。そのフクロウの海は魔女の街から南に約30キロというところにある。だいたい羊の足で一時間と少しといったところであろう。二倍見積もるほど離れてはいなかった。
「ちょっと寄るところがあるの。
 ほら梨璃も習ったでしょ?星学の授業で。
 星の落ちた湖"アカッディア"だよ」
「アカッディア…」
小さく梨璃はつぶやいた。













2001/11/25作成(2003/01/02UP)....HARUCO