ESPY



何度かのため息。

学校の一室に再び静寂が訪れた。

季節は初夏。

涼しい風はカーテンを揺らし何度も髪をなでた。

いくつかのロッカーと大きな机、いくつかの椅子とその場に似合わないタンス。

それだけで構成される校内でも特に狭いこの部屋には今、少女が一人いるのみだった。

集中したように目の前のゴーヤーに手を添え目を瞑る。

一瞬少女の髪が広がったように見えたがすぐに収まり再び風にあわせて揺れ出した。

またため息。

「もう無理…」

落ち込んだように肩を落とす。

肩まである栗色の髪は顔を覆い、大きな目は寂しげに揺れる。

カーテンを透かし入りこんでくる日差しはセーラー服を白く照らし

髪を綺麗に透かした。

「なあに?もうやめちゃうの?」

突然聞こえた声に少女は急ぎふりかえる。

窓を背に座っていた少女の見つめる先は揺れ動くカーテン。

クスクスと笑う美しい声はその向こうから聞えていた。

「ああ!ノゼハ先輩!」

嬉しそうに少女は窓に駆け寄ると一気にカーテンを引いた。



トモがこの学校に入ったのは4月。それから何ヶ月経っただろうか。

『娯楽部』と銘打たれたこのふざけた部活に興味を惹かれたのだった。

入った理由は一つ。

それが今カーテンの向かいにいる先輩であった。

ここは3階、しかし悠々と宙に浮かんで見せるこの先輩はノゼハといった。

長い黒髪、青い瞳。

見つめると吸いこまれそうな強い色とは裏腹に白い肌、優しい顔立ち。

数ヶ月前に調度、偶然に二人は廊下ですれ違ったのだった。

「あ」

何かに気づいたかのようなノゼハの声。

無意識にトモは振りかえった。

「…新入生、だよね?」

「…?

 あ、はいっ…」

控えめに応える。

名も知らぬ先輩に呼びとめられ緊張したように直立した。

「きっと楽しく過ごせるから!

 娯楽部に入ろう?」

これが、きっかけ。

その後無理矢理部室に連れていかれたトモへ結局数日後には入部届を出すこととなった。

まあ特別入りたい部活も無かったし

中学でやっていたテニスも続ける気は無かった。



「ああもう先輩、大丈夫なんですか?また浮いて!」

怒るようなトモの口調にノゼハ笑いながら部室へ入ってきた。

いつもは降ろしているはずの髪を頭の上で一つに束ねており

それが軽やかに揺れた。

「大丈夫だってば。誰も見てないし。

 それにどうせ見たってもう慣れっこだよ」

何かとすぐ飛んで見せるこの先輩は学校でなかなか有名な人物だった。

実は宇宙人だとか、正義の戦士だとかなんとか。

とくかく愛嬌があるだけに人付き合いも良く、ただでさえ顔が広かった上に

この不思議な特技があっては有名になるのも無理は無かった。

しかしその実態が宇宙人や戦士かといえばそうでもなく

ただの普通の女子生徒であった。

奇妙がられていないといえば嘘になるが、とにかくこの学校にはそういうのが多かった。

「トモは出来るようになったの?おしゃべり」

トモは再び席について首を横に振った。

青く実ったゴーヤーを両手で掴み天井の電気にかざしてみる。

輪郭が白く輝き、逆光で謎の黒い物体が目の前に見えた。

「無理なの、先輩。

 本当にできるかわかったもんじゃないのに、こんなこと。

 でーきーまーせーんー」

口を尖らせ眉を寄せ、ノゼハを恨めしそうな顔でみる。

笑いながら向かいの席に座ったノゼハは腰に手を当てていった。

「わからないでしょう?やってみないと!

 あなたには出来るの!きっと!

 マリもそう言ってたし、きっと大丈夫よ〜」

ケラケラと笑う。

本当にこの先輩は屈託のない笑顔で笑う。

トモは尖らせた唇はそのままに下を向いた。

「でもー」

「でもじゃないの!」

ノゼハは少し口調を強くした。

「できるんだから。

 そういう台詞はいうもんじゃあーりーまーせーんー」

そう言ってポンと手をトモの頭にのせてきた。

クスクスと笑いながら返事を返す。

思えば初めて部室に連れてこられた日、すでに仕組まれていたように思えた。

5、6人の部員で歓迎されたトモは有無を言わさず座らされ

数人の先輩があーだこーだ言うのを聴かされた。

結局一番言いたいことは『あなたには素質ある』という一言で。

なんとも胡散臭いこの一言に最初は眉を引きつらせたものだが

今ではすっかり日常になってしまったこの植物との会話の試みをまだつづけていた。

一種のトレーニングだそうで

声が聞えるようになれば、ノゼハのように少しだけ変わったことができるとかなんとか。

胡散臭いこと限りなかったが目の前で空中浮遊やらスプーン曲げやら見せられては抗えなかった。

つまりは好奇心の勝利というわけだ。

「じゃあ、もう一回」

トモは言って両手をゴーヤーにかざした。

ノゼハが見つめる。

「集中して。

 目をつぶって」

言われるままにトモは目をつぶる。

できるだけ意識を集中させて頭をゴーヤーに近づけた。

「そのまま、気をつけて。

 のめりこむように。

 色は緑

 視界は広く

 鮮やかな匂い

 心地よい息…」

催眠術にでもかかるような気持ち。

ぐらぐらと自己が定まらなくなっていき

無意識のうちにトモはゴーヤーにおでこをくっつける。

この感覚は時々ある。

しかし今日のは特別で、今日はいける、声がきける。

このままもっと深く、深く。

意識を集中させるようにもぐらせる。

あと少し。

声の輪郭をとらえた…そのとき

「ちわー!」

無粋な男の声が

静寂に満ちた部室にとどろいた。



「おろ、めずらし、お前何髪結んでんの?」

入ってきた男、サトルはノゼハと同い年の先輩だった。

そして言った言葉がそれ。

二人の動きはいまだ止まったまま。

サトルの目は調度後ろを向いて座っていたノゼハの頭、髪留めのところに移る。

髪を束ねるゴムの上から巻きつけてあった小さな赤い紐。

それは大分振るそうなもので少しすすけていた。

「もっとましなのつけりゃいいのに。

 いつ買った奴だよこ…」

パシリと。

はじけるような音が響いた。

見事な平手打ち。

ノゼハは我に返ったように思いきり腕を上に上げていた。

サトルはというと一瞬呆けていたがすぐに頬をさする。

「いてぇ」

「バカ!…あ、あとちょっとトモできそうだったのに!

 集中力切れちゃったじゃないの!バカ!ばか!」

「あの…先輩。

 いいですから…あの…!」

遠慮がちなトモの声が響く中二人は陰険な顔をしてにらみ合っていた。

ノゼハはとても怒っているようでむきになっていた。

「もう…!

 行くわ、私」

突発的な行動はノゼハの特徴である。

鞄も置いたままにドアの方へ行くが

その前でサトルが椅子に腰掛けるのをみると眉をひどくひきつらせ窓から飛んで出ていった。

「なんだよ、あいつ。

 超感じワリィ」

嫌味タラタラ、サトルは出ていった窓を睨みつけた。

「あ、あの!先輩。

 お茶、いれますね…!」

焦る。

トモはなんともこの先輩が苦手だった。

サトルが部長ということだったが特に何をするというわけでもなく

とりあえず部室に来て、勉強やら遊びやらをして帰っていく。

そうでなければもう一人の男子部員とポーカーやらで賭けをしてノゼハに怒鳴られるのが日常だった。

とにかく本質がふざけているように思える。

知り合って大して月日がたたぬトモから見ても、サトルは不真面目に見えた。

「ああ、うん。あんがと」

とりあえず、といった感じの返事。

トモはビクビクしながポットから急須へお湯を注いだ。

視界の端に1枚の紙が目に入る。

「?」

気になって身を乗り出してみてみるとそこにサトルの手が伸びてきた。

「あ!す、すみません!」

見ては行けない物だったか、と慌てて謝ると

サトルはうん、と小さく言った。

しばらくその紙をみつめる。

「あの…なんですか?その紙」

「これ?」

ぴらっとめくって見せてくる。

そこにかかれるのはズラズラと並ぶ英語文。

目が痛くなるほどの文章の先にはいくつかの問いがあり

あらあらくかかれた回答の全てに赤い丸がしてあった。

「わ!すごい!」

思い出してみればこの紙、昨日見た。

ノゼハが死んだような顔をしてトモに見せたものだ。

ノゼハの場合、最悪とまでは言わないまでもちらちらとしか見えない丸にトモは言葉を無くした。

まあ部室でもよく勉強をしているノゼハで成績がいいと聴いていたから

いきなり悪い結果のテストを見せられてもどうしようもないのだが

ほとんど意味のわからぬテストであろうと丸の並ぶ回答結果がすごいことだけはわかった。

「ノゼハ先輩のはバツいっぱいあったのに…」

思わず口がすべる。

あっときづくとトモは口に手を当てた。

「ああ、あいつもう帰ってきてたんだ、このテスト。

 あいつ英語できねーもんな。

 バーカ」

まだうっすらと赤い左頬を意識しながら窓へ向かって言う。

サトルは自慢気もなく紙をひらひらとさせるとすぐにしまった。

しかしトモにしてみればその紙は随分と衝撃のあるものだった。

今までサトルが勉強ができるなど知らなかったこともあるが

どうにも満点の回答が想像できない人物なだけに驚き満天だった。

コポポポポポ

急須から湯のみへお茶をそそぐと豊かな香りが部室へひろがった。

静かに差し出すとサトルは何も言わずに受け取った。

ああ、だれか来てくれないだろうか

何故この先輩と二人きりにならなければならないのだろうか。

気づかれないように、そっと顔をみる。

細い髪の毛、黒い瞳。

思いの他細い顔立ち、長い腕

良く見れば長いまつげ、だるそうな目

ワイシャツにネクタイをひっかけただけの服装はいかにもいい加減だった。

「何?」

「あ…!」

見つめていたことが悟られたらしく声をかけられる。

トモはひどく動転しワタワタと手を振った。

「あのっす、すみません…!

 ノ、ノゼハ先輩探しにいかなくちゃ…!」

鞄も置いたままだしどうせ意地になって帰ってこないだろうから

それにここにはとても居難い。

慌てて立ち上がった次の瞬間。

サトルと目が合った。

シンとした瞬間、意思が悟れない表情

慌てて逸らしトモは部室に広げてあった自身の持ち物を一まとめにした。

下手にノート等を見られても気まずい。

変な事を書いているつもりはなかったが、恥ずかしい。

サトルは一方でトモを無愛想に見つめ、何か考えているようだった。

視線を感じる。

気まずい。

怖い。

「あの…」

気まずさが頂点に達したとき、サトルは立ちあがりぐんとトモの腕を引いた。

















(2003/09/23....haruco)