44 黒い霧と下り路
「なるほど、こりゃあ確かに黒いな……」
口元に布を巻きつけて、アツは小さく呟いた。
喉に纏わり付くような煙たさから逃げるように、小さく咳払いをする。
先頭を歩く彼は洞窟で高々とランタンをかざしたが、それが照らしたのは僅かな壁面のみで
前方は未だ黒い霧が立ち込めていた。
「なんじゃこりゃー」
どこからとりだしたのだろうか、いつのまにか大きなゴーグルをしているハルベットが呆然と呟いた。
洞窟に入ったのは今朝方で、小一時間と経っていない。
山頂に程近い所に位置する洞窟は薄暗く、驚いたことに黒い霧が立ち込めていた。
硝煙に似た匂いを宿したその霧に一同は警戒したが、今いる山は火山ではない。
有毒ガスの危険はないか検討したが、アツとスバルは霧をそれほど危険視はしなかった。
「やっぱり特別に精製されてる霧みたいだね」
「自然発生したガスじゃないってこと?」
ぽつりとスバルが呟けば、隣を歩くハヤテが首を傾けて聞いた。
厚手のマフラーを深く巻きつけてはいるが、スバルは鼻を出して慎重に匂いをかいでいた。
「魔法薬に近いかもね、硝煙臭くても鼻に引っかからないから、独特の薬草の匂いを消すために
上から匂いつけたんじゃないかな。そしたら人も近づかないし」
「確かにこれが煙だとしたら、内部がこんなに涼しいわけないわな」
ハヤテはほっとしたように笑うと、黒い空気を手で撫ぜた。
ざくざくと粒子の細かい土砂を蹴り上げながら一行は奥へと進む。
道は僅かに下り坂になっており、歩みを進めるたびに土がころころと転がっていった。
「思ったよりも深いな」
黒い霧の中、口を開いたのはアツ。
彼の声が突然反響を伴ったために、一同は慌てて周りを見渡した。
どうやら天井が高くなっているのだろうか、気づけば少し広い所にいるのかもしれなかった。
いずれにせよ、薄暗い霧の中では知る由もない。
「この中ではぐれたら流石にやばいね」
スバルの言葉に皆が息を呑む。顔を確認できる距離まで皆が集まれば、
彼女は少し考えてから腰元のリュックをがさごそと漁った。
「こりゃ熊つれてこなくて正解だったな」
「だな、さすがに足元にまでは気を配れない」
伸びをしながら呟くハヤテにアツが苦笑いして返す。
ユミレオは今回もまた洞窟の入り口に置いてきたのだった。
まあ彼自身が入るのを嫌がったのだから、連れてくるのは無理だったのだが
ともかくユミレオは今回もまた洞窟に来ることはなかった。
「あ、これこれ」
音を立ててリュックを漁っていたスバルだが、やおら顔を上げると嬉しそうに笑った。
「なんだそれ」
「糸……結構な強さになってるし、長さもあるから四人繋いでも大丈夫だと思うよ」
「それ一人こけたら大変なことになんじゃねーの」
「こけなきゃ大丈夫!」
自信満々にスバルが笑えば、あたりには溜息が満ちる。
しかし彼女はそんな様子に意を介すでもなく、意気揚々とアツのベルトに糸を結びだした。
「腰にやるのか」
「安定してるしね、足首とか首がよければそうするけど」
「……」
この近さであればアツが顔を顰めたのも良く分かる。
ハヤテがニヤニヤと笑えば、その隣でハルベットも同じ顔をした。
「さて!次は……ハトだね」
狙いを定めたスバルはさっさとハトにも巻きつけようと身を乗り出した。
「え、僕もやるの?!」
「誰の為の策だと思ってんだよ」
笑いながら頭を押さえつけたのはハヤテ。それに軽く頷いてスバルは苦笑いした。
「一番危ないからね、アツの後ろだったら大丈夫でしょ
多分いろんなことあっても助けてくれるし」
「俺は厄介はごめんなんだけどね」
「じゃあうちが助けてあげよう!後ろに付くね」
小さな細い指で器用にハルベットのベルトにも糸を巻きつけると、続けてスバルは自身のベルトに糸を寄せた。
スバルの発言でまた複雑な表情をしているアツをみて、
ハヤテはまた静かに笑った。
「がんばれ」
彼が短く告げると、アツの眉根に皺がよる。
それを楽しげに見上げながら、最後にスバルは糸の端をハヤテへと渡した。
「俺が最後尾なの?」
「ま、無難な線じゃない?ハルベットが間に入れば結構後はどうでも良いし
とりあえずまあハヤテがこけたら一緒にこけてあげるよ」
「冗談」
自分のベルトをみやり、結び目を確認するスバルを見つめ。
ハヤテは顎を持ち上げて小さく呟いた。
「ぎゃー助けて助けて!死ぬ死ぬ!!」
「うるさい、こいつ。
黙れよ」
じたばたと足を大きく振って暴れるハルベットに顔を顰め
ハヤテは大きく溜息をついて彼の頭を叩いた。
「あーもーうるさいな、静かにしなよ。
死なない死なない。アツが助けてくれるから安心しな」
「たすけて!」
投げやりにいうスバルに、ハルベットは悲鳴を上げた。
それぞれが余裕を持たせて身体に結びつけた糸は、
やがて螺旋状になってきた下り道を降りる中で早速役に立った。
早い話がハルベットが足を踏み外したのだ。
縦にくりぬかれた空間を壁にそって下りていく道だったので
ハルベットが慌てて足元の岩にしがみつかなければ四人とも危なかっただろう。
そもそも糸で繋がなければアツが勢いにつられてしりもちをついたり
スバルが落ちかけたりなどしなかったわけだが
しかし黒い霧は次第に濃くなり、糸がなければ足元のハルベットすら見えにくかったかもしれなかった。
「今ひっぱり上げてやるから、そのまましがみついてろ」
アツまでもが溜息混じりにいうものだから、ハルベットは一つしゃっくりをして口を噤んだ。
糸を手繰りながらハルベットの肩口を見つけると
そのまま幼子でも抱え上げるかのように脇下を抱えて一気にひっぱりあげた。
「わ!」
その勢いに驚いて、ハルベットが声を上げる。
ひょいと抱え上げると、アツは苦でもないというようにさっさと彼を床に下ろした。
カツンと硬い靴音が響く。
「足元に気をつけなよね?道ずれになるじゃないの」
「そもお前が糸をつけようとか言い出さなきゃ良かったような気もするが」
「うるさい。一回はぐれかけた癖に」
口を挟むハヤテに、スバルは口先を尖らせて返す。
「糸が丈夫に出来てて良かったね、ハハ」
「おら、行くぞ」
ケラケラと笑い出したスバルの頭を叩いて言ったのはアツ。
彼は既にそそくさと歩き始めており
繋がった糸を釣りでもするかのようにクイクイと引っ張った。
たたらを踏んでハルベットがつくのをみて、スバルもまた歩き始める。
再び広く静まり返った空間に靴音が響きだす。
螺旋状の下り坂を調子よく下っていけば、濃さを増した霧はほとんど視界を奪い
前方を歩く者の背中すらぼやけてきたのだった。
「気をつけろ、本気でやばい」
「だいぶ冷え込んできたね」
前方からはアツの声。そのあとに続くハルベットがぽつりと呟けば、確かにその通りだった。
肩口に急に寒気を感じてスバルが肩を竦ませれば、ハヤテも自分のマフラーを引き寄せた。
「水音がするな……」
「どっかから水が湧いてるのかも知れないね」
耳を澄ませれば確かにどこからか水音が聞こえてくる。
僅かに音を反響させながら水が流れている音が高く響いていた。
カツン、カツン。
カツン。
靴音だけが暫くあたりに響いていたが、それはふと遮られた。
「あ」
珍しく間抜けな、アツの呟き。
彼の目立つ赤毛は既に真っ黒な視界に消えている。
ハルベットの金糸も見えにくくなっているところでスバルはゆっくり立ち止まり、顔を上げた。
「喜べおまえら」
くるりとアツが振り返った……のだろう。
彼の声が高らかによく響いてきた。
ブレーキをかけつつ降りていた足を軽くひねりながら、スバルは耳を傾けた。
「下り坂が終わったぞー」
暢気に言う声は俄かに喜びが感じられる。
前が歩き出したのだろう、再び糸がクンと引っ張られた。
ほどなくしてスバルも坂を降り終えたが、そこでやっと彼女も彼の喜びが理解できた。
長々と坂を折り続けるというのは想像以上に精神苦を伴うものだったらしい。
斜めでない大地に立つことに足が喜んでいるのは驚きだった。
「それにしても、だいぶ下ったね」
「本来なら何度か途中で引き返すところだがな、一度で行くのにはちょっと長すぎる行程だった」
軽く笑ってアツは言った。
トントンとつま先で地を叩く音が響く。
その音を聞きながら、視界を奪われると人はこれほどまでに耳聡くなれるものかとスバルは思った。
「さて、どうしようか」
「勿論、いけるとこまでいくでしょう?」
笑って答えたスバルにくすりと誰かが笑う声。
無茶な彼女にはもうだいぶなれただろうか。異論を唱えるものはいなかった。
「ただ、まあそんなに長く歩く必要はなさそうだけどな」
「?、どういうこと……?」
呟いたハヤテに、訝しがってスバルは返す。
振り返れば、彼の顔は想像以上に近いところにあった。
「ひかりがみえる」
言って彼の瞳は前へと向かう。
ゆっくりとスバルもそちらを向けば、
いつか見たような、青白い光がぼんやりと遠くに見えた。
えらく時間をかけた印象があるんですが、ただ私の書くペースが遅いだけでした。
旅ってイベント尽くしではないんだろうな、となんとなく思って。
陣を集める旅を彼らはしているけれど、あと10回くらい陣をあつめるとして
その回収作業自体は淡白なんではないかと思います。
ただそれだと読んでても書いてても微妙だと思うので、楽しくしたいけど。
洞窟という設定が浮かんだので、とりあえず色々幅利かせて、おもしろ洞窟つくっていきたいと思います。
いまさら気づいたけど、スバルってば逆ハーレム。
最近そういうのが気づくと多い……気をつけよう(笑)
2005/10/10 Haruco