03 夜に踊る娘と鴉
「本当にありがとうございました」
彼女はそう言って深々と頭を下げた。
「いえ、御礼なんか……結局何も出来なかったし」
ハヤテが慌てて言うが、その声に自信はなく、尻つぼみになっていく。
あの後。騒動は鴉衣装の少年によってあっさりと収まった。
暴れていた男はこの町の狩人だったらしい。どうやら山で呪いをもらってきたようだと病院に運ばれていった。
騒動のあった場所はやはり劇小屋で、昼の公演はやむなく中止。
桃色の髪の少女は一座きっての女優だったらしく、それを助けたハヤテは一応、手厚く歓迎された。
少し遅めの昼食会が開かれ、少女は嬉しそうにハヤテの隣に腰掛けた。
「それに、あのように混乱した時に飛び出してくるなんて、とても勇気がおありなんですね」
「あ、すみません」
少女が話しかけながら肉の盛られた皿を差し出し、ハヤテは慌ててそれを受け取る。
彼女は微笑みながらもの珍しそうにハヤテの顔をじろじろと眺め、くすりと笑った。
「……それと、わざわざ迎えに来てくださったんですね、すみません。国司の……」
突然彼女が呟き、ハヤテはぴくりと肩を動かした。ビンゴ。
やはり彼女はスバルに間違いなかった。ハヤテは肉を食べる手を休め、そっと彼女の目を見た。
桃色の瞳。レンズを入れているのでなければ随分と珍しい色だ。
彼女はハヤテと視線があった事に少し驚き、恥ずかしそうに目を伏せた。
「旅を一緒にする方がどんな方なのか分からず、不安でしたが……とても嬉しいです、素敵な、方で」
出来るだけ落ち着いた、魅力的な雰囲気を出そうとしたが、所詮ハヤテだった。声が小さい。
それでも少女はにっこりを笑い、よろしくお願いします、小さな声で言った。
「マリ」
そこに声をかけたのは鴉の少年だ。衣装は着たきりだが、仮面は取っている。
白い肌に薄い色の髪、そして瞳。まだ少し幼かった。
彼は少女の肩にぽんと手を置き、振り返らせた。声は少し高い。
「あら」
少女が振り向く。彼女は少年の手に自らの細い手を重ね、ハヤテの方を振り返った。
「……この子、よろしくお願いしますね」
「?」
ハヤテが目を丸くするが、満面の笑みを浮かべるマリは少年の頭を撫ぜると席を後にしてしまう。
未だに事態を理解できないハヤテに、少年は嘲笑を寄越した。
「こんにちわ。スバル・アルゲッタです」
「……」
あからさまに、テンションの下がった彼は嫌そうに顔をしかめた。
先ほどまで背筋を正して座っていたハヤテは、今やすっかりソファに寄りかかり、顔を半分うずめている。
ハヤテの隣には少年が腰掛ける。否、少女だ。
彼女は黒い服をずるずるさせながら腰掛け、その短い藤色の髪を手櫛で梳いた。
「挨拶ぐらいは、返して欲しいのだけど」
少し棘のあるその口調にハヤテは小さく溜息を漏らす。
彼女に向き直るついでに姿勢を起こせば、人ごみの向こうに桃色の髪が揺らめいた。
マリ。先ほどまで彼がスバルだった少女。パラダイス。
なんて紛らわしい。そういえば初めて現れた時も二人は一緒にいたのだった。
ザ・早とちり。
「ハヤテ・イチハ
……この町について以来、ずっとあなたの事を探していました」
ハヤテはわざわざ少女の方に向き直って言った。
不満そうに口先を尖らせたまま言葉を続ける。
「書類に記載されていた住所にも伺ったのですが……
お出かけのようでしたので、町を探していました」
「ああ、それは悪かったね」
しかしスバルはそんなハヤテの口調など気にもせず、ずるずると背もたれに身を預けた。
するとマリがパタパタと靴を鳴らしながら駆寄り、ハイと言ってスバルに封書を手渡した。
「あ」
ハヤテは顔をぱっとほころばせマリを見たが、しかし彼女はそれに気づかずさっさと身を翻して去ってしまう。
肩を落としたハヤテだが、にやにやと笑うスバルと目があったことに気づき、さっと顔を背けた。
「ああ、そうか……昼にうちを訪ねる予定だったわけだ。そろそろってのは知ってたけど」
彼女は封のされた封書の隙間に指を入れ、丁寧に口を開いていった。
紙がチリチリと裂ける音が響き、一番上の書面には確かに今日の昼に国司が尋ねる旨が記されていた。
今、はじめて書類を開いたというのか。ハヤテはうんざりしたように眉をしかめた。
書類は二月以上前に届けられている。本人に手渡される最重要書類なのだから、そう遅れることはないだろう。
「今はじめて書類を見たって感じですね」
「……でも、あなたの名前は知ってるよ」
わざとらしく舌をちらりと出して見せる。スバルはくすりと笑って身を乗り出した。
「ハヤテ・イチハさん。街の学校を二年前に卒業して、現在は牧羊をしている。
棒術が得意なんでしょう?国司採用の決め手がそれだったらしいね」
「よくご存知でらっしゃる」
ハヤテは目を丸くし、思ったままを口にした。
スバルはにっこりと微笑むと、椅子から立ち上がった。鴉を模した黒い衣装の、羽の部分がぶわりと揺れる。
「ねえ、旅立ちは明日でもいいかな」
「?」
少し遠慮がちなスバルの言葉に、ハヤテは一瞬出遅れる。
彼女はそっと、やりたいことがあるんだ、と付け足した。
ハヤテは少し考え、まだ少し慣れない仕草で時計を見た。昼をとうに過ぎ、もうすぐ夕刻に挿しかかろうかというところ。
今この村を出たとしても夜までに次の村に着けないだろう。第一、スバルは旅の支度すらしていない。
「別に大丈夫ですよ。泊まるところさえ見つかれば」
「ありがとう。それなら是非うちの一座の塔に泊まってってね。
ついでに、夜暇なら公演も見て行ってちょうだい」
最後の舞台、だから。
スバルが笑って言うのを見て、ハヤテは小さく笑って頷いた。
では、お言葉に甘えて。
スバルが所属するのは小さな舞踏一座だった。ストーリーにそって演じていくがそこに台詞は一切無い。
本来ならば今日の昼がスバルにとって最後の公演だったのだが、騒動の所為もあり、急遽夜公演が行われることになった。
夜見るとステージは昼より断然広く見え、小さな明かりがそこかしこに灯されていた。
ハヤテが宛がわれたのはステージを見渡せる中央下手寄りの席で、ステージの幕の隙間から月が見えた。
若い娘が人や獣に出会いながら進んで行く、軽やかな踊り。
跳ねるたびにマリのスカートがふわりと揺れ、剣士役の男のマントが大きく舞った。
娘は最後に海へとたどり着く。花一輪だけ咲くその砂浜で、鴉に出会う。
スバルが飛ぶと、その黒い羽が音もなく宙に広がった。
静かな、静かなその舞台で、鈴の音が鳴り、風が涼やかに吹いた。
そして娘は旅に出る。
鴉を連れ立ち、そっと。夜も明けぬうちに、霧の向こうへ。
一番最初に書いたときからハヤテはマリをスバルと間違えるというストーリーにしたかった私。
特別スバルが少年ぽいということは無いのですが、少女らしいかと言われると微妙かもしれません。
当初劇をやる一座だったのですが、舞踏一座へ。踊りだけで表現って難しそうですが楽しそうですね。
二人がそろったので、ゆっくりと、旅立たせようと思います。
2006/12/30 改 Haruco