02 スバル
国の役場で移動用の陸鳥を借り受け、東へ走ること一昼夜。
ハヤテがその村に着いたのは、予定よりもずいぶんと時間が経ってのことだった。
まあそれも仕方が無い。あまりにも陸鳥が喧しく喋るものだから、ハヤテもつい構ってしまったのだ。
山頂で仮眠を取っての道中、まだ暖かい季節であることが大きな救いだったと言える。
まだ暗いうちに山頂を発ち、明け方には村に着くことが出来た。
手に書簡を持ち、ハヤテは村の入り口であたりを見渡した。
寺院や書院、そしてたくさんの出店でいっぱいの村、タリテ。
月に一度の大市が有名であり、山奥でありながら国の内外から人が集まる。
そして今日がその大市の日。まだ明け方だというのに、村には既に人が集まりだしていた。
にわかに賑わうこの村、タリテにハヤテが共に旅をすべき仲間がいる。
うっすらと白みだした空は爽やかで、少し冷たい風が肌をなぜた。
「しかしまあ、どうしようかね」
長く続く大通りに途方もなく呟いたハヤテの言葉は、風に消えていく。
国から渡された資料で、当てに出来そうな情報は住所と名前ぐらいなものだ。
そもそも書かれている情報はそんなに多くはない。
彼は書類にざっと目を通し、相手の名前の部分を注意深く見つめる。
スバル。
その軽い響きを持つ名を、ハヤテは噛み締める。
小さく深呼吸をすると、彼は旅の相棒に胸を馳せた。
「やっぱ無理だよ」
ハヤテが寂しい独り言を再び漏らしたのは昼過ぎのことだった。
書類に書かれた住所を訪ねたが留守。その後二時間毎に三回は訪れたがやはり留守だった。
先方にはハヤテが今日行くことが伝わっているはずなのに。
彼は苛々と大市を歩き回った。
旅の仲間となるスバル。書類によるとハヤテと年はそう変わらない、少女と聞いていた。
書類にある学歴や職業の欄は未記入だが、特技の欄には色陣とある。
おそらくは色陣士なのだろうとハヤテは想像した。
色陣は昔の大戦で大きく発展した分野だが、その範囲は医療から武芸までと幅広い。
しかし今では廃れてきている分野であり、若い色陣士は少なくなってきている。
現にハヤテが見たことがある色陣士と言えば、羊の厄除けにと年に一度頼む近所の女くらいだった。
それも相当年季の入った老女で、いつもハヤテには理解出来ない謎の模様を羊の額に書いていくのだった。
水に触れればすぐに溶けるようなその模様に意味があったかは謎だが、父は毎年必ず読んでいた。
つまりはまじない、御祓いの類なのだろう。ハヤテにとってはその程度の認識だった。
ぼんやりと考えつつ、ハヤテは足元の砂利を蹴飛ばして歩いていた。
そのとき。
「スバルは!?どこにいる!?」
甲高く、まだ幼い少女の声が響いた。
突然通りに響いた悲鳴に皆が振り向く。
ハヤテも声に驚いてすぐに顔をあげ、その名に反応した。
「スバル!?」
思わず彼は小さな歓声をあげてしまう。
ハヤテは悲鳴が聞こえてきた物々しいテントを見とめると、人ごみをかき分け近づいていった。
「芝居小屋?」
ハヤテが行き着いたのは小さな芝居小屋だった。
芝居小屋といっても、少し大きなテントに屋根だけで敷居が無い。
簡素な舞台が前に組まれているだけで、客が座れるように布が広げられていた。
人は多く群がっているが、皆舞台から少し離れ、取り巻くように囲んでいる。
何が起こっているのかとハヤテが背伸びをすれば、人々の肩越しに事件が垣間見えた。
「ちょっと、どこにいるの、スバル?!」
聞こえたのは先ほどと同じ幼い少女の声。見れば彼女はスーツを着ており、舞台の端で柱に隠れていた。
そして舞台中央には二人の男。役者なのだろう、マントや帽子などやたら派手な格好をしている。
コミカルな服装に似合わず必死な顔で彼らは舞台にしゃがみこみ、一人の男を取り押さえていた。
押さえつけられていたのはまだ若い男で、両手を振るいながら眼を見開いている。
抵抗する暴れようはもはや獣であり、その様子は明らかに異常だった。
「どっかで呪いでも拾ってきたか?」
ハヤテが呟く。冬に入る頃にどこの村でも一人は出るものだ。
大体は取り押さえられて病院送りになり、一ヶ月もすればけろりと出てくるのだが
凶暴さ故に殺し合いになることもあった。極稀に、だが。
原因は主に森に生息する狼による感染だと言われる。
しかし人為的な呪いでも似たような作用を起こせる為、非常に曖昧な問題なのであった。
「スバル!」
再び声があがる。悲鳴に近い歓声。
舞台にひょっこり出てきた人影に一同が眼をやった。
出てきたのは二つの影。何も知らずに舞台にやって来たようで、騒動に驚いた様子だった。
少女と少年の二人組。大きな声と舞台での騒動に、二人は脅えたように立ちすくんだ。
「あれが、スバル」
皆が騒ぐ中、ハヤテは静かに呟いた。
「助けて!何とかして!!」
幼い少女が叫ぶ。少女の方が声に驚いてびくりと肩を震わせる。
彼女は少年の方へと身を寄せて緊張した様子で暴れる男を見ていた。
その髪は柔らかな桃色で、緩やかな長い曲線を描いている。
髪よりも少し濃い瞳が脅えたように揺れ、長く白い手足を竦ませた。
「完璧」
こんな騒動の中でただ一人、ハヤテだけが笑う。こみ上げる笑みは抑えようも無い。
見開かれた瞳は大きく、顔はすらりと長い。美しい少女だった。
ハヤテは王女など見たことが無かったが、もしいるのであればきっと彼女ような生き物だろうと考えた。
彼がそんな風に考え、これから始まる旅への期待を膨らませていると
突然事態は動き出した。
桃色の髪を揺らしながら、少女がゆっくりと男の方へと顔を上げる。
彼女は一度唇を引き締めると、少年を後ろへ押しやり歩き出した。
慌ててその後を少年が追う。小柄な少年は上から下まで黒尽くめで、鴉の格好をしていた。
短く色の薄い髪が鴉の面からこぼれ、それを纏う所作からは幼さがこぼれた。
少女が歩みを止めると、もう男との距離はほとんど無い。
場が静まりかえり、皆が息を飲む。
緊張感が満ちる。
押さえつけられながら男が顔を上げたとき、少女がさっと身構えた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
その声が聞こえるよりも早く、ハヤテは舞台へと駆け出した。少女から眼は離さない。
皆が恐怖の声を上げた。悲鳴。
人ごみを駆け抜けながら、ハヤテは腰にすえた連結棒に手をかける。
しかし人ごみの中では組み立てられない。彼は歯がゆそうに小さく舌打ちをした。
そして暴れる男は少女と眼が合うや否や、凄まじい勢いで身を起こした。
押さえつけていた男たちを簡単に跳ね除け、少女へと向かって飛びかかる。
「下がって!!」
衝動だった。
ハヤテはすばやく舞台に駆け上がり、体勢が整わないそのままに二人の間に割り込んだ。
少女は突然のことに軽く悲鳴を上げて後ろへ倒れたが、男はそうではない。
勢いそのままにハヤテに突進し、二人は舞台の上を荒々しく転げ回った。
先に立ち上がったのはハヤテで、連結棒の一本を両手に構えた。
本来三本を繋げて一つの棒とする連結棒は、一本だけにすると腕の長さほどしかない。
短いその棒一本だけでハヤテは男と対峙した。冷や汗。
「ふ」
ハヤテが息を切らせながら小さく笑えば、男は逆上したように飛び掛ってくる。
動きは早いが、直線的なために避けやすい。
ハヤテは一歩二歩と横にかわし、咄嗟に男の背後に一打与えた。
鈍い音が響いたが、男はひるまない。何事も無かったかのように身を翻すと再度ハヤテに突進してきた。
「え、うそ!」
ハヤテが怯む。
どうやら有効だと思われた打撃は、音だけでたいした威力が無いようだった。
こうした呪いに掛かった相手は、とにかくのしてしまわなければ捕獲も治療も出来ない。
唖然としていると、男は乱暴にハヤテを押し倒した。
ダンと鈍い音が舞台に響く。
その感覚に、ハヤテは先日羊に突進された時のことを思い出した。もちろん、今回の方がかなり強烈だが。
「うわ」
間抜けな声を出してハヤテが呆然としていれば、のしかかった男が大きく腕を振り上げた。
避けなければ。思うがしかし体が動かない。
見れば胸元を膝で押さえつけられ、ハヤテは体を揺らすことも出来なかった。
危機感から息を飲む。殴られる衝撃を予想してハヤテは眼を固く瞑り、奥歯を食いしばった。
「ヘタクソ!」
その時頭上から声が飛んでくる。初めて聞く声。
ハヤテが驚いて眼を見開けば、同時に彼の体を押さえつける痛みが消える。
驚いたまま見あげれば、調度鮮やかな飛び蹴りが炸裂していたところだった。
男の体が中に浮き、急に軽くなった胸にハヤテは思わず咳き込む。
鴉の少年が男を真横から飛び蹴りしたのだ。二人はハヤテの体の上を通って下手の方向に倒れて行く。
先に起き上がった少年は、ちらりとハヤテに視線を寄越すと小さく笑った。
「大丈夫?」
「……どうも」
嘲笑に近い態度にカチンとなるが、なんとかハヤテは上体を起こし返事した。
咳き込んだ勢いでぐらりと揺れると、少女が慌てて駆け寄りハヤテの体を支え、隣にしゃがみこむ。
ああ、折角スバルちゃんを助けて格好良いとこ見せようと思ったのに。
小さく溜息が出たが、それも少女がそっとハヤテの腕に手を添えたことで消えた。
彼の痛みなどそんなものである。
「お兄さんそこ動かないでね!」
少年は腰から糸を取り出すと手元で器用に編み上げた。あやとりのような要領で何か形が出来ていく。
風の流れが変わり、ハヤテがはっと顔をあげた。
総毛立ち、異質な感覚が肌をなぜる。
少女もまたはっとして身を竦ませ、少年が男へ向かって糸を編んだ両手を突き出した。
瞬間。
まばゆい光があふれ出した。
第二話はハヤテとスバルとの出会いです。
顔の分からない人を探すときに頼りになるのはやはり住所でしょうか。
この世界には一応写真技術があるつもりですが、証明写真にするとこまでは行ってないという感じです。
色陣や暴れる男についてちょっと書けたのが嬉しいです。
それにしても名前を出さない人物は書き分けるのが難しいですね。
やたら「男」とか「少女」とかいう表現が出てきてすみません。
2006/12/16 改 Haruco