01 ハヤテ
多くの戦いを経て人は歩み、國は進む。かつて互いを傷つけ、殺め築いた歴史は土になり、その上に人は住み、日々が重なる。
人を、國を、多くの形無いものを守った術は今尚残り、闘う術は鮮烈さを失うことなく人へ、心へ伝えられていく。
争いの色が微かにまだ残る頃、しかし争いを知らない子供が伸びやかに過ごす頃。
人々は多くを知るために旅に出る。会うために、知るために、自分のために。多くのものが。日々歩く。
彼らもまた、空と共に旅をする。
東の大陸の北東に位置する小さな国。名は掌空。
その王宮街を抜けるとそこにはすぐに牧羊地が広がり、多くの風車と瓦屋根の家々が並ぶ。
王宮街の終わりから見渡す限り一番東にある小高い丘には、一軒の白い家。
赤い瓦屋根の家の隣には羊小屋がぽつんと立っており、家の周りでは羊たちが草を食む。
銅色の小さな鈴をつけた羊たちが緑の草原の上に点々とするそんな風景の中に
一人の少年が佇んでいた。
青年というには少し早く、その年の頃にしては少し白く、癖のある黒い髪がぼさぼさと伸びていた。
掌空独特の重ね着の服に、腰には護身用だろうか、一組の連結棒が下げられている。
ザックに丈夫そうな旅靴。よく見る旅人のなりだった。
「ハヤテ!」
遮る物の少ない草原に、高く鈴の鳴るような声が響く。
名を呼ばれた少年は気だるげに振り返ると、伏せていた眼をゆっくりと開いた。漆黒の瞳。
「そろそろ行く時間でしょう?」
「そうだな」
高い声の持ち主はまだ幼さの残る少女だ。黒い髪をふわりと肩まで伸ばしている。
赤い瓦屋根の家から転げるように出てくると少年、ハヤテの元へと駆けつけた。
「早く出ないと、今日中に山向こうの村に着けないよ?」
「そうだね」
急かすように少女は言ったが、ハヤテはぼんやりと返す。
呆れたように彼女は溜息をつき、手に持った巾着を力なく握り締めた。
一度だけぎゅっと巾着をきつく握ると、彼女は乱暴にハヤテの胸元にそれを押し付けた。
「っと」
突然の衝撃に不意を衝かれた彼は、ぐらりと揺らぐ上体をなんとか踏み留めた。
彼がぼんやりとしていると、彼女はすぐに手を離してしまう。
巾着がゆらりと落下する瞬間に、彼は慌ててそれを受け止めた。
「なに、これ」
だらしなく口を半開きにさせたハヤテに、彼女は少し睨みを利かせると、その視線のまま数歩後ろに下がった。
「お弁当と薬、どうせ持ってないんでしょ?」
「あ、忘れてた」
巾着の口を開き、中をしげしげと覗き込む様子はなんとも間抜けで、
そんな間の抜けた彼の様子には慣れていた彼女だったが、その時は後ろから殴りたい衝動に駆られた。
「あれ、なんか入ってるよ」
巾着に手を突っ込みがさがさと漁る。彼が取り出したのは手紙だった。
白い縦長の封筒に鶯色の押し花で封印がしてある。
「手紙、母さんへ。切手も貼ってあるから、父さんの所へ行くついでに出しておいて」
「わかった」
素直にうなずくとハヤテは手紙を巾着へと戻し、再度中を確認した。
しばらく眺めた後に口をきゅっと閉め、丁寧に結んでから鞄へと収める。
身支度をすっかり済ませた彼は、ぽんと鞄を叩くと満足げに頷いた。
そしてついでとばかりに彼女の頭も撫ぜる。
少女は一瞬眉をしかめると、乱暴にその手を振り払った。
「あと、これ」
「?」
巾着を押し付けた時のように、彼女は雑な動作で右の拳を彼の胸元へと押し当てた。
その手には何か握られていた。
彼がゆっくりと両手を受け皿のように広げると、少女はゆっくりとその上で手を開いた。
ぽとりと何かが落ちてくる。
さっと手を引っ込めた彼女を見やってから、ハヤテはそっと自身の手元へと視線を落とした。
「お守りだ……」
ハヤテは少し感動したように呟いた。抑揚の無い声が、わずかに弾む。
驚いたような、嬉しいような。そんな彼の掌の上には丁寧に糸で編まれた袋があった。
触れば中には木片の手触り。薄く固い手ごたえがあった。
「ちょっと急いで作ったから、祈りを込める時間が足りなかったかもしれないけど」
「え、なにちゃんと社まで持ってってお守り作ったの?」
「じゃなきゃお守りの意味ないじゃない」
このあたりの地域で作られる、古いお守りの作り方だ。
ハヤテが知る限りそれは狩に出る時にでも、初めて仕事に行く時にでも、果てには子供が学校に行く時にでも。
健康・安産・出世・良縁、なんにでも用いられる、ある種万能なお守りだった。
効果のほどは知らないが、國の者ならきっと誰もが一度は作った事があるような物だ。
実際ハヤテも幼い頃に作った事があった。釣りに行くのでたくさん釣れますように、などというような代物ではあったが。
「えらいね、ありがとう」
土地に生える木から木片を採り、薄く削いで名と願を刻む。月光と日光に当て、祈りを吹き込んで袋へと収める。
どうやら木片が収められた袋も彼女自身が丁寧に織った物らしかった。
その過程は想像するに困難で、疲れを伴うものだったに違いない。
「……まあ、別にいいのよ」
彼女は気恥ずかしくなったのか急にうつむくと、数歩下がった。彼との間に距離が出来る。
ハヤテはからりと笑うとお守りを大事そうに服の内ポケットへと収めた。
「じゃあ、そろそろ行こうかな」
「……そう」
ハヤテは大きく息をつくと荷を背負いなおした。
お守りの入ったポケットのあたりをぽんと叩き、そして少女の頭もついでにぽんと叩く。
今度は振り払うことも無く、彼女は少し顔をしかめただけだった。
「……いなくなったら寂しい?」
「うるさいな、早く行きなさいよもう!」
意地悪げにハヤテが問うと、彼女は顔を真っ赤にして怒鳴った。
勢いに任せて乱暴にハヤテの背を押せば、丘の傾斜も手伝って彼は駆ける様に歩き出した。
「コノエ!」
駆ける足はそのままに、彼は振り返ると器用に後ろ歩きをした。
少し声を張り上げて妹の名を呼べば、顔を赤くしたままの彼女がゆっくりと背筋を伸ばした。
「……」
彼女は返事を返さない。
苦く笑うような、呆れたような表情をして、少しだけ唇をかみ締めた。
「またね」
兄の言葉は軽く、短い。
彼はくるりと身を翻し、軽い足取りで草原を歩みだした。
すれ違う羊たちをぽんぽんと叩きながらどんどんと歩いていく。
少女が見守る中その背は小さくなっていき、すぐに丘の下へについてしまった。
無言で彼女がその背を見ていれば、再び彼は振り向いた。
「いってきます!」
声を張り上げ、大きく手を振る。
感慨というよりもむしろ、久しぶりに兄が大きな声を出すことに少し驚き。
彼女は笑うと大きく手を振った。
「いってらっしゃい」
「なんだもう出るの」
薄暗い店内にひょっこりと足を踏み入れると、父はぼんやりと呟いた。
カウンターに父の姿を見つけ、ハヤテが少し遅れて頷く。
珈琲の香り漂う室内には午後の光が差し込み、黄色い明かりが広がっていた。
父の背はひょろりと高く、少し伸びた髪を後ろで一つに束ねている。
白いシャツに黒いエプロン。見慣れた姿はハヤテを落ち着かせた。
「挨拶してかなきゃと思ってさ、店に寄ってみた」
「それは結構」
淡白に父は頷くと。磨いていたカップをそっとカウンターに置き、フロアへと出てきた。
カツカツと靴音が響き、珍しく客のいない室内に静寂が満ちる。
「これ、持っていきなさい。あ、弁当は?なにか持ってく?」
「いや、いいよ。コノエがなんかくれた」
ハヤテは父親から箱を受け取る。大きくは無いその箱からは物音一つせず、中身がぎっしり入っているだろうと予想できた。
彼は少し重みのある箱の中身を気にしながら少しだけ上下に振った。
「素敵な妹に感謝だね」
「そうだね」
適当に返事をしたハヤテに笑いながら、父は思い出したようにエプロンのポケットを漁った。
コインに鍵、ペンにボタン。色々なものを机の上に出し、父はようやく目当てのものに行き当たったようだった。
「これもあげようと思って。お古で申し訳ないけど、昨日思い出したんで、まあ勘弁」
「うわ!……ありがとう」
父が取り出したのは時計だ。
細かい鎖のついた懐中時計は軽く、耳を当てればチコチコと音がする。
珍しい黒い塗装の施された時計には白い文字盤が良く映えていた。
父が良く使っているものであるのをハヤテは知っている。
傷は多くとも父が愛用しているその時計に、ハヤテが密かに憧れを抱いていたのは父は知っていただろうか。
「壊すなよ。あ、あと失くすなよ」
「気をつける」
慎重に受け取るとハヤテは早速それをベルト穴に固定させた。
「まずはどこに行くんだっけ?」
「山の向こうにある村。国から鳥が借りられるから今日中に着く予定」
「そっか」
餞別の品を鞄に納め、店の出口へと立つ息子から父は少し距離を置いて立った。
「母さんに会ったらよろしく。あ、あと手紙はちゃんと書く様に」
「うん」
ハヤテが扉を開けて通りへ出ると、見送る父はくしゃりと彼の頭を撫ぜた。
ぽんぽんと軽く頭を叩くと、ハヤテは自分がされたように軽く眉根を寄せ、そして笑った。
「じゃあいってらっしゃい」
父の少し低い声に、ハヤテは満足げにうなずくと、ゆっくりと歩き出した。
「いってきます」
別れを告げ手を振れば、小さく手を振り返す父の姿見える。
ハヤテは笑みを深めると背筋を伸ばし、風を切って歩み始めた。
何度か書き直した第一話。旅立ちにしてはあっさりですが。
妹と父とのお別れはきちんと書きたいなと感じ、でもあまりさよなら!というような雰囲気にはしたくないな、とも思って
何故旅に出るのか書ききれなかったの、次話以降できちんと書きたいところ。
それにしても色々貰う男ですね。旅人に荷物になるものを持たせるのはどうかなとも思いましたが
まあ小ぶりな贈り物、ということで。
2006/12/07 改 Haruco